本田 忠臣(74)
父である。
皆様にとって、『父』とはどんな存在なのでしょう?
私の父は・・・頑固。無口。怒る。まさに現代では類い稀な『九州男児』である。
私の幼少期、少年期、青年期は、特に父と何かするなど考えられない存在で、
ただただそこに立っている。
まさに本田家の【大黒柱】というだけの存在でしかないのである。
ちなみに、父の馬鹿笑いも、泣いた顔も見た事がなく、相談をしたこともなければ、褒められた記憶もそうない。
心通わすことのもっとも難しい人物である。
まさに・・・
地震、雷、火事、忠臣である。
当時、もし父が好きか?と問われれば答えはNOだったであろう。
こんな父は、私のする事に賛成する事など何一つない。
今までもそう・・・間違いなくこれからもそうだ。
今回、屋久島に単身乗り込んで来た。
正直、緊張していた。
3泊4日。
こんなに父と共に長く過ごしたのはいつぶりだろう。
こんなに父と話したのは記憶になく、
こんなに父が笑い楽しそうにしているのも久しい。
サロンに戻り父の髪を切る。
父といる時間に緊張していた自分が嘘のようにいなくなっていた。むしろ心地よさまで感じた。
翌日、島を観光し、トレッキング、温泉にも3日間つれて行った。
なぜか最終日の温泉は私達二人だけ・・・温泉につかりつつ色々な事を話した。
昔のこと・・今のこと・・これからのこと・・・色々と。
父の役割。
父の口調から、『試されてた感』を感じる。
私にとっての父の存在は、反論し続ける『最大の敵』だったはずが、この時『最高の味方』だった事に気付く。
甘やかすのは父親の仕事ではないとばかりに、いつでも最後の壁としてそびえる存在が父であり、そんな父の反論をもろともしないだけの覚悟が思い返せばいつも備わっていた。
父の役割。
40年である。40年間憎まれ役を通して来たのである。
「よかったな・・・。」
それだけである。
ただのその一言だけで、いままでの40年間、愛を持ち育ててくれていた事を感じた。
「お父さんは先にいなくなるから、そしたらお母さんを助けてあげなさい・・・。」
夫の役割。
岐路に立つ父は本当に素敵な笑顔だった。
何度も振り返り、乗り込む直前にも遠くから手を振ってくれた。
父を乗せた船は、朝日がまだ上りきらない蒼と紅の絶景の海原へと向かう。
父さん
来てくれて本当にありがとう。
今までありがとうございました。
そしてこれからもよろしくおねがいします。
今、もし父を好きかと問われたら、答えはYES。
今までの分まで全て含め、答えはYESだ。
以上